鎌倉時代(1180年頃~ ) 室町時代(1336年~1573年)

この時代は、貴族社会から武家社会へと変わり、建物も少しづつ寝殿造りから書院造りに移行していきます。 室町時代に建立された金閣寺は、書院造りの部分がありますが、寝殿造りの形式も残っています。書院造が、建築様式として完成されるのは、少し先の桃山時代ぐらいだそうです。室町時代の第8代将軍足利義政の弟と息子の間のお家騒動から始まる1467年から11年続く応仁の乱のせいで京の都も頽廃し、幕府の力が弱まります。そこから戦国時代に突入して行きますが、その戦乱で、京や地方の建築物が大量に焼失してしまいました。その結果として、書院造の様式の建築が一気に広まったようです。

書院造りと寝殿造りとの大きな違いは、間仕切りの増加です。舞良戸・杉戸・襖・明かり障子などの建具が発達し、屋内は天井張りになり、小部屋は畳敷きになりました。また、棚や机なども作りつけるようになります。

5_1書院造_西行物語絵巻より

そういう流れの中で寝所は、眠るところに畳を置いて几帳や帳で目かくしするという可動式のものから、塗籠や納戸とよぶ3方を壁に囲まれ、畳を敷きつめた固定の寝室に変わっていきます。畳が敷き布団という感じです。
寝室以外の広間では、畳は敷き詰めず、中央をあけて四方の周りだけに敷き回したりして使用していました。座布団の代わりみたいなものでしょうか。畳の作りは、藁とこを使用した現在の畳に近いものになってきます。

庶民の家でも、ようやく、土間のみから板敷き部分を作り、板敷きの上で眠るスタイルが増えてきますが、寝床は?といえば、従来のむしろをしくのが一般的でした。まだまだ畳は高価なもので、裕福なお家でも、数枚を敷くのがやっとであったようです。

5_2箱木千年家

かけふとんについては、この時代、あまり変化しませんでした。室町時代末期には、木綿の栽培が三河国で軌道にのって、日本各地に木綿の栽培が拡散されましたが、戦国時代幕開けの軍需用として火縄銃の火縄や陣幕・旗指物といった武具の材料に重用されため、広く衣料や寝具に使われるのはもう少し先になります。

室町時代頃に建てられた日本最古の民家が兵庫県神戸市北区にあります。現在も、箱木千年家とよばれ、保存されています。箱木家の古文書では、平安初期に建てられたと記録されているそうです。ダム建築のため 建物を移築した時に、使用されている木材が調査されましたが、鎌倉時代末頃のものがあったそうです。 (左写真は、当社から30分ほどで行けるところにあることを知って訪問し、2015年夏に撮影したものです。そんな由緒正しい建物が近所にあってびっくり!)

この村の地侍であり有力農家の家で、母屋は入母屋造りの茅葺です。見た感じは、竪穴式住居の壁を立ち上げた様になっています。 礎石づくりで、室内には土間と板張りの床があります。土間にはかまど・厩があり、板張りの床上には3室あります。室町時代末ごろの建築であると推定されているそうです。(余談ですが、土かべのせいなのか、夏でも室内は少しひんやりしていました。)

平安時代から室町時代までの間の庶民の住まいは、竪穴式住居から入母屋造りのこの家の様な進化した形状のものまで、地位・経済状態・住む地域・気候によってさまざまに混在していたようです。