縄文時代(BC14Cぐらい~)・弥生時代(BC10Cぐらい~)・古墳時代(3Cぐらい~7C)

1_1ベッド付家形埴輪  大昔の人々は、どのような寝具で寝ていたのでしょうか?

昭和58年に大阪の美園遺跡(4C末~5C初)で、ベッド付の家型埴輪が発見されました。 昭和62年には、和歌山市の西田井遺跡から弥生時代後期(2~3C)に作られた竪穴式住居の中に土製の寝台(おそらく竪穴を作るときに掘り残して作った)を4つ備えた住居が2棟確認されています。また、大阪府高槻市で発見された弥生から古墳時代の集落群の中に、ベッド状の区画を持つものが2基発見されています。

縄文時代の末、竪穴式住居に定住するようになった頃には、浸水や毒虫等を避けられる様に、丸太をしいたり組んだり、土を盛り上げたり・・・と様々な工夫をしてベッドのような・・、寝台らしきものを作っていたようです。

この時代の住居はどのように変化したのでしょうか?

初期の竪穴式住居(地面を少し掘り下げ、4本から6本の柱を立てて、草や穂で屋根を葺いたもの)は、穴の上に直接屋根を葺いたもの(伏屋式)で底面は円形でした。それが徐々に方形になっていき、壁部分を立ち上げたり(壁立式)と変化していきます。西日本では平安時代あたりまで、東北地方では室町時代ぐらいまで、そのような竪穴式住居に住んでいたようです。

この壁立式は、穴を掘らずに作られるようになり(平地住居)、近世までの農家や民家のもととなっていきます。当初は権力者のみが壁立式平地住居を作り始めますが、近畿地方では、庶民も平安時代後期には、平地(竪穴ではなく)住居に移行していったようです。

高床式の建築物は、南方系の高床から発生して、弥生時代には、関西以西では収穫した穀物を動物から守る為の倉や神殿として使われ、少しづつ身分の高い人の住宅にも用いられ始めていきました。

さて、縄文時代の末ごろから寝台らしきものは作り始めていたようですが、竪穴式住居での 敷き布団にあたるものは、どんなものだったのでしょうか?

海藻をほしたものや木の皮を編んだもの、動物の毛皮、 稲作が始まってからは、ワラを編んだむしろのようなものもなどが使われていたようです。 ワラをつみかさねてそのうえにころがるのも一般的なスタイルだったでしょう。干し草のベッドみたいなもんでしょうか・・・。