安土・桃山時代(1573年~1603年)

6_1夜着

桃山時代に出現する新しい寝具の名称に夜着(よぎ)があります。奈良興福寺の子院である『多聞院の日記』に1565年ごろから数件記載されているそうです。
夜着は、平安時代頃の宿直衾の流れの寝具で、襟袖がついています。
このころになると、ようやく木綿の栽培量も増えてきたようで、中綿は、真綿よりも木綿が増えてきたようです。

その『多聞院日記』に、「夜着のワタ」「モンメン夜着」 などと記されていたり、本阿弥光悦(1638年に没した)行状記に、光悦の父母の財産目録があり、「紙子の夜着、木綿の布団」 と記されています。

主に京都や奈良など上方の上流階級では、夜着とふとん(しきふとん)の両方が使われ初めていたようです。寝具の進化の上で、綿の普及は、画期的なことだったようです。

京阪の夜着・ふとんの風俗はこのころから徐々に関西から関東へと普及しはじめますが、江戸の上流階級にまで広まるのは、少し遅れて江戸時代初めぐらいだそうです。もちろん、庶民まで広まるのは、そのまた先になります。

昭和初期まで関東で一般に用いられてきた寝具のカイマキは、襟袖があり、夜着をルーツにしているようです。

関西では、江戸時代初めごろになると、襟袖のついた夜着は消えていき、現在のものに近い形のふとんが主流になっていきました。

桃山時代には新しくシキブスマという言葉がでてきますが、敷寝具として使うものではなく、使用済みの和紙を張り合わせ、柿渋を塗って作った紙衾を夜具の下に敷いて蚤などを防いだり、かけて風よけにしたりもして使用したようです。