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和箪笥の誕生

「箪笥(たんす)」というものの歴史は、1661~1673年くらいに大阪で
生産されたのが始まりだと言われています。

収納に「引き出し」という機能が加わったことで、和箪笥は庶民には手が届かない高価なものとして、衣装持ちの貴族階級用に生産されたものだったそうです。

和箪笥の歴史を見ていくと、当時の庶民は箪笥の前段階に生まれた「行李(こうり)」を使っていました。
行李は竹を箱型に編んだ、蓋の付いた容れ物です。

また、木でできた「長持(ながもち)」は、横長で両端に長い木を通す金具がついており、木の両端を持って持ち運ぶことができました。

長持よりコンパクトな「櫃(ひつ)」は、木でできていて蓋がついた収納用品です。

元禄時代に入ると、庶民も持ち物が増えたため、物がたくさん入る和箪笥が普及していきます。

その後、箪笥が完全に普及したのは。江戸時代の末期だと言われています。

1860年ころのことなので、和箪笥の歴史はおよそ150年しか経っていないことになります。

和箪笥の普及

全国各地で趣向を凝らした和箪笥が歴史上に出始めたのは明治以降で、明治から大正にかけて優れた箪笥が数多く作られました。

仙台や庄内などでは、地方色豊かな和箪笥が生まれています。

産地の特色が出始めた歴史は明治10年代、その後洗練され、生産が活発になったのは明治20年代、最盛期は明治30年代から大正の初めと考えられています。

材木屋のない地域があったり、鉄、漆も貴重品だったので、箪笥は明治にならないと発達しませんでした。

また、庶民への倹約令や職人への規制などが江戸時代にはあったので、和箪笥の発達の歴史を妨げていたようです。

その後近代化の歴史とともに生産性は向上し、箪笥産業は発展していきます。

大正末期からは東京式の桐箪笥が流行し、昭和に入ると地方色豊かな箪笥は衰退していきました。

現在、和箪笥は歴史的、文化的価値のある遺産として残っています。

ちなみに、箪笥の数は「一棹(ひとさお)、二棹(ふたさお)」と数えます。

これは、明暦3年の江戸大火のとき、庶民が一斉に長持ちを持って出たために路地がふさがれ、大惨事を引き起こしたことから、幕府が大都市での長持ちの生産を禁止したという歴史があります。

その後長持ちは棹を通して持ち運べるようになったため、一棹と数えるようになりました。