江戸時代(1603年~1868年)

大阪で、江戸時代の初め頃に、現在に近い掛け布団がでてきました。 関東にようやく夜着が普及し始めるころ、関西では、夜着は姿を消し始め、ふとん(現在の形に近いもの)が主流になってきます。昔は、関西のほうが、流行の先端だったんですね。

江戸時代の寝具の発達は、遊郭がリードしていた?

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遊郭では、階級の格付けに身に着ける衣装だけでなく、お付の人数、・寝道具 (特に敷きふとん)が使われていたそうです。

女郎には、 大夫職(たゆうしょく)・三八(さんは)・天職・囲職・端女(はしため)・・・一匁取り(いちもんどり)・5分取 ・・・というようなランクがあり、 太夫-三ツ蒲団、天職 ―二ツ蒲団、囲職は1枚、一匁-寝莚(ねむしろ)、5分は狭莚(さむしろ)・・・などというように決められていたそうです。太夫は、敷きふとんを3枚しいてたんですね。
上級の女郎は、ひいきの旦那に敷きふとんをプレゼントして貰い、それを飾って自分の権勢を誇っていたようです。  浮世絵版画や浮世絵草子で、太夫などを見た庶民は、太夫の美しい姿や衣装だけでなく、見たこともない贅沢なふとんにも憧れをいだいたことでしょう。

当時のふとんは、ちょっと高級品・・どころではなくて、数十両したそうです。 町屋の奉公人の年収が2・3両、そばが16文(1両=4000~6500文)という相場からすると、 現代の超高級車と同じぐらいか、それよりもより高かった?ようです。

一方、東北などの貧しい村落では、この時代でも、藁むしろの袋や海藻を乾燥させたものを麻などの袋に詰めたもの、藁を積み上げたものそのまま・・・という弥生時代ぐらいの寝具からほとんど変化していなかったそうです。江戸の市中では、 庶民の間で天徳寺と呼ばれる敷き寝具がよく売れていたそうですが、天徳寺というのは、紙の蚊帳の使い古しに藁などを詰めて周りを縫ったとものでした。藁入りの和紙のふとんです。

庶民の家の床は、ほとんどが板張りに変わっていきましたが、上流階級が使っているような畳が、庶民の中でも町民に普及し始めるのは、江戸中期頃ぐらいになります。その頃にイグサの栽培も本格的に始まりますが、畳が地方の農村にまで普及するのは、まだ先の明治時代だそうです。