奈良時代(710年~8C末)平安時代(8C末~1180年頃)

平安時代になると、公家の邸宅として寝殿造り様式の建物があらわれます。

中国の正殿の形状を模して、南向きの中央寝殿に主人がおり、その左右や北側に家族の居住区を配して渡殿(わたどの)でつないでいます。中国の正殿との一番大きな違いは、寝殿の入り口で靴をぬぐことです。寝殿造りの建物では、板張りの床の適当なところに畳を置いてそのまわりを几帳や屏風で囲い、どこででも寝床をつくることができます。いわば、寝殿全体がベッドルームという感じでしょうか。寝殿の漢字はそこからきたのでしょうか?

鎌倉時代の1309年に春日大社に奉納された春日権現霊現期の中に尼僧主従の寝所という絵があります(下画像)。女主人は、寝殿造りの庇の内側に畳を敷いて、単衣と袴を着たまま薄い衣をかけてねていますが、 その女房はといえば、その庇のまだ外側の縁に(敷居をまたいで)、着物のまま、何もしかずにごろ寝しているのが描かれています。

この時代ぐらいまでの上流階級は、寝殿造りの建物の中で、好きなところに寝床を作って寝ていたようです。とても平和でおおらかな時代だったんですね。

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そのまた上流の貴族たちの中には、中心の寝殿の板敷の広間に畳を二畳敷いて4隅に柱を立て4面ににロールスクリーンのような帳(とばり)を垂らし、天蓋付ベッドの様な御帳(みちょう)を作り寝ていた方々もいました。天皇・皇后は、別格で浜床(はまゆか)といわれる黒漆塗の木製の台の上に八重畳をしいた御帳台(みちょうだい)を使用されていました。天皇・皇后以外で御帳台を使用するのは神様だけということで、、現在も伊勢神宮・上賀茂神社・住吉大社など、歴史の古い神社の本殿には「神様の寝所」としてしつらえてあるそうです。 当時をしのぶことができますね。

御帳というのは、眠るだけでなく、来客と謁見したりまつりごとを行う場所でもありました。

謁見する場合は、正面を巻き上げていました。上流の貴族たちは権力や財力の象徴として御帳に様々な意匠をこらしていたそうです。また、畳の縁の色や柄、大きさ、重ねる枚数などで身分の階級を表したりもしていました。

しかしながら、貴族社会から武士の社会に変わっていき、次世代の建築物では、建物の中を壁で仕切ったり、畳を敷き詰める部分も作られるようになり、この様な寝台のほとんどは消えていきます。