奈良時代(710年~8C末)平安時代(8C末~1180年頃) 3/3

4_1竪穴式住居
この時代には、まだ木綿綿は使われていません。平安時代初めに、「日本に初めて木綿の種子が伝来した」と日本書記などに書かれていますが、栽培に失敗したらしく、実際に栽培が始まるのは、まだ先の室町時代末期の戦国時代になります。寝具の材料は、麻や藁、草や海藻を干したもの、真綿などでした。

住居のほとんどは竪穴式住居でしたが、平安時代末頃になると、西日本 特に近畿地方では、ほとんど平地造りの掘立柱住居に移行したようです。東日本よりも西日本が早くに進化したようです。東日本では、まだ竪穴式住居が一般的で、倉庫などの掘立柱住居とが室町時代まで並存していました。

西日本のある程度豊かな農家や、京都の町屋などでは、平地造りの掘立柱住宅にかわっただけでなく、屋内は土間ばかりではなく、板敷の部分も作るようになります。板敷きの上に畳(むしろを重ねたようなもの)を敷いて寝るような生活様式が出はじめます。

掘立柱の平地住居というのは、木の柱が地中に礎石なしで突っ込んであるので、20~30年で腐敗してきます。ですから、定期的に建て替えを行なっていたようです。 そのため、当時のこの様式の住居というのは、現存しておらず、遺跡の発掘現場で、柱の跡がみつかるのみです。

ちなみに、伊勢神宮の式年遷宮は、690年の第1回めから現代までのおよそ1300年の間、20年に1回行われています。これは、正殿などが、掘立柱建物の様式で建てられていて、腐敗する前に立て替える必要があって始まった儀式だそうです。当時既に、礎石造りの建築技術が確立されていたにもかかわらず、なぜ定期的に建て替えないといけない掘立柱建築を選んだのかは、記録がないそうです。
4_2正倉院
現在に残る最古の木造建築である正倉院の土台は、自然石の上に直径60cm柱を置く礎石造りです。高床式の校倉造という建築様式で、地中に木が埋もれていないため、土台の耐久性が、掘立柱建築と比べて相当高くなっています。しかしながら、非常に高い建築技術と手間と時間が必要であり、自然災害でこわれたときの再建もむづかしい様式なので、寺社や上級貴族の居宅にしか用いられていませんでした。